裏銀座縦走

年月2006年8月
期間二泊三日
登った山烏帽子岳 (2,628m)三ツ岳  (2,845m)
野口五郎岳(2,924m)割物岳  (2,888m)
鷲羽岳  (2,924m)水晶岳  (2,986m)
赤牛岳  (2,864m)
行程行き新宿(夜行列車)信濃大町(タクシー)高瀬ダム
登山・高瀬ダム(1:50)三角点(0:45)烏帽子小屋(0:30)烏帽子岳(0:30)烏帽子小屋(1:05)三ツ岳(1:20)野口五郎小屋(0:15)野口五郎岳(0:20)真砂岳分岐(0:50)東沢乗越(0:30)水晶小屋<泊>
・水晶小屋(0:40)割物岳(0:20)鷲羽岳(0:20)割物岳(0:35)水晶小屋(0:25)水晶岳(0:30)温泉沢の頭(1:30)赤牛岳(3:15)奥黒部ヒュッテ<泊>
・奥黒部ヒュッテ(1:30)平ノ渡(1:50)御山谷(0:25)ロッジくろよん(0:30)黒四ダム
帰り黒部ダム(トロリー)扇沢(バス)信濃大町(列車)松本(列車)立川(列車)武蔵小杉
タイム19時間45分(コースタイム31時間15分)
同行者なし
宿泊 水晶小屋、奥黒部ヒュッテ
天候
温泉
コメント 7月に折立からの裏銀座縦走を試み、黒部カールで敗退したので、8月に早速リベンジを計画し、行ってきました。今回は、長野側の高瀬ダムからのアプローチで下山は同じく読売新道を目指します。高瀬ダムから裏銀座を縦走したのは初めてではありません。8年前に友人と2人で水晶岳・高天原温泉・雲ノ平経由で、新穂高まで縦走したことがあったのです。あのときは三泊四日の行程で四日間降られつづけ、天候は最悪でした。
 今回眺められた景色は恐らく今年最高のものになる予定です。更に今回登頂できた赤牛岳はどのルートでも片道12時間以上かかるという、北アルプスでは間違いなく最も遠い山の一つです。それだけに走破した感慨もひとしおでした。

 朝5:08に信濃大町に着きましたが、どうせ七倉のゲートが開くのが遅いから、とのんびり休憩してからタクシー乗り場へ行くと、何と今年から七倉のゲートは5:30に開くようになったとか。高瀬ダムへのタクシーは既に出発しており、やむなく1人でタクシーに乗り込みました。七倉ゲートの登山指導員は「このルートは特に問題は聞いてないけれど、雷だけは注意してください」と言っていました。
 高瀬ダムに着き、トンネル・吊橋を渡って、登り口である濁沢まで行くと、20名以上の人が登る準備をしていました。烏帽子岳へのブナ立尾根は、日本三大急登とも言われ、登りは標準6時間となっていますが、実際はそんなにはかかりません。寧ろ高度が稼ぎやすいので、私のようなタイプには向いている登りです(ちなみに日本三大急登のあと2つは甲斐駒の黒戸尾根と谷川の西黒尾根だそうです)。天候も良く、ぐいぐい登って2時間余りで烏帽子小屋に到着。前回は悪天のため登らなかった烏帽子岳へピストンしました。烏帽子岳は実際に見ると確かに烏帽子のような尖った形としています。それだけに登りは意外と急で息が切れます。更に長い登り鎖が1本、岩峰らしい狭い頂上でまず最初の快哉を叫びました。
 烏帽子岳まで1時間で往復すると、漸く裏銀座の縦走を開始します。この日は本当にいい天気で、常に赤牛・水晶の雄姿を眺めながらの山旅となりました。しかし、野口五郎岳までの道は意外とタフでした。10時半前に出発して、野口五郎小屋に着いたのは13時前になっていました。高瀬ダムから登った人は、長い人でもこの野口五郎小屋で一泊するケースが多いのですが、烏帽子を往復して更に水晶小屋まで行くというのは結構驚かれました。野口五郎岳は小屋から15分の登り、そこから細い岩場を進んで、15時半に何とか水晶小屋に辿りつきました。それにしてもこの日の水晶小屋からの景色は絶景の一言です。水晶小屋は小さい小屋で、食事も就寝も一間だけの部屋でこなすのですが、この日は19人。まあ少ない方だそうです。あとで聞いたら50人以上になる日もあったとか。あの部屋にどうやって50人寝られたのか、不思議です。小屋のスタッフも若く、好感が持てました。

 翌日は鷲羽岳を往復してから水晶・赤牛・読売新道と随分長丁場ですので、鷲羽ピストンは4時出発がいいだろうと考えていましたが、実際に起きてみると、まさに雷がなっているところで、その数分後には猛烈な雷雨になりました。ゲッソリして寝床に戻り、5時にもう一度起きだしてみると、雷が去った後は雨もなく、雲も晴れてきていました。そこで手短に準備して、小屋を出発。鷲羽岳への道は一旦岩苔乗越に向かって大きく下った後、ワリモ岳への登りになります。ワリモ岳の山頂は微妙に巻きますが、その登山路上に山頂の碑。。ワリモ岳を下って、鷲羽岳の登りにかかるまでは、その雄姿を眺めることが出来たのですが、登り始めると急にガスってきました。そして、何とか辿りついた山頂は雨こそないものの、真っ白でした。それでも長らく踏めなかった山頂に感慨はひとしお、強い風の中我慢して弁当を半分だけ食べました。
 水晶小屋に帰着したのは7時半。宿泊客は全員出発した後で、ここで朝弁当の残りを平らげていたら、わざわざお茶を出してくれました。やはりいい小屋です。8時には小屋を出発。水晶岳を目指します。水晶岳は8年前にも一度登りましたが、晴天の水晶岳から見る景色を一人占めする気分は格別のものがありました。この先高天原温泉へ下ることができる温泉沢の頭を過ぎると、以後7時間全くエスケープルートがない道になります。この季節ではこのルートを辿る人もそれなりにはいるらしく、数人と擦れ違いました。
 赤牛岳の手前30分ほどになると、立山方面からゴロゴロと嫌な音がするようになり、以後雷の接近にビクビクしながらの登山が続きます。赤牛岳山頂ではそれでもまだ景色も充分望めましたが、長居も出来ず、そのまま読売新道への下りにかかりました。読売新道は下りでも5時間とそのルートの長さがよく言われますが、実際に下りてみるとそれほどでもないかもしれません。最初の1/3を過ぎると尾根を下りて樹林帯に入っていきますので、雷雨が来るまでに何とかそこまでは行っておきたいと思って、先を急ぎます。実際に尾根を下りて樹林帯まで来ると漸く一息つけましたが、その30分後にやはり猛烈な雷雨がきました。それから1時間弱の間頭上では猛烈な雷音が轟きつづけていましたが、深い樹林帯に落ちる心配はまずないので、歩を緩めずに下りつづけました。もし稜線にいたらさぞかし肝を冷やしたことでしょう。実際に黒部五郎小屋発で読売新道を下り、何と18:30になってから下山してきた猛者がいましたが、水晶・赤牛間の岩場しかない稜線で雷に遭遇し、1時間身動きできなかったと言っていました。
 私の方の問題は、この大雨で読売新道が物凄く滑りやすい強烈な道に様変わりしたことです。距離よりも雨の後のこの状態の方が大変でした。何度も滑りそうになりながら、何とか下っていきます。雨も止んだ14:20、奥黒部ヒュッテに到着しました。ここの小屋主は黒部では知られた人のようですが、奥さんはタイの方のようで、山小屋としては新鮮でした。そして、この小屋には風呂がありました。山の中で風呂に入れるのは、温泉や宿坊を除いては南アの椹島くらいしか思い出せませんが、お陰で丸二日の汗を流せたのは有り難かったです。
 奥黒部ヒュッテまで下ってくると、何だか登山はほぼ終わりという気になっていましたが、実はこの場所は黒四ダムから船での渡しを含めて5時間以上かかるというまだまだ奥地なのでした。しかも平ノ渡の船は6:20、10:20、12:20、14:20、17:20と多くても一日5往復しかありません。小屋主に相談したら「朝1便に乗るには4時に出ないと間に合わないが、道は狭いし暗いので、足を踏み外すと4時間後まで誰も助けに来ないから、できれば2便に乗るのを勧めます」とのことでした。しかし、2便にしてしまうと、ダムの到着時刻が15時近くになってしまうので、1便にこだわることにしました。小屋主から「出だしの沢の橋を渡るところだけは分かりにくいですが、後は沢沿いに下るだけだから、下見しておくといいですよ」ということで、下見をして朝に備えます。このロッジは山目的半分、沢目的半分という感じ、テント泊も多く、小屋は比較的すいていて、4人部屋に3人で寝られました。
 朝4時、暗い中を予定通り出発します。沢の渡り方は下見しておかないと多分わからなかったでしょう。その先もヘッドランプでは恐る恐るという感じでした。標高差は殆どないはずですが、断崖になった黒部川の川岸をへつるわけなので、沢を越える度に長い梯子の下り・登りを繰り返し、それ以外は左が切れ落ちた細い道を辿りつづけました。明るくなるまでの30分は大変でした。あまりに多い梯子の投降に思わずアスレチックを思い出していました。渡し場には何とか30分前に到着し、朝食弁当を食べながら船を待ちます。6時の渡し船を利用する人は少なく、この日も私一人のために船を往復してくれました。対岸に渡ってから更に3時間の行程、この道も全く遊歩道とは程遠い純然たる登山道でした。再びへつり道と梯子の投降を繰り返し、巨大な御山谷の沢を越えて、何とかロッジくろよんに到着。ここからは本当の遊歩道です。
 折りしもお盆で立山黒部アルペンルートは観光客で大賑わい。それでも朝4時に出て救いだったのは、10:05発の扇沢行トロリーも、10:55発の信濃大町行バスも空いていたことです。立山から入った観光客が大挙してこれらの路線に殺到するのは、午後になってからです(途中で擦れ違った逆向きの扇沢発黒部湖行トロリーは7台全部立錐の余地もないギュウギュウ詰めで走っていました)。信濃大町からの東京行きもこの時間だとまだ余裕があり、快適に帰宅することが出来ました。