即身仏になるためには、多くの修行を積まねばならない。これには二つの側面がある。 ・即身仏になるという行為は、過酷な修行の最終形と位置付けられているから ・即身仏になるためには、死後も腐りにくいように肉を落とす必要があるから 本来の修行の目的は即身仏になることではなく、己の悟りを開くことにあるはずだが、少なくとも現在残る即身仏は入定することを最大の目的とした感が強い。 |
現在、出羽三山に残る即身仏は全て、湯殿山での過酷な修行の末に即身仏なったものである。彼らの行った修行の内容を見ると、即身仏になるための「資格」を得るためにどれだけの苦行を積まねばならないか、ということが窺われる。
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土の中に入って入定するというのが、湯殿山での最もポピュラーな入定方法である。 実際に入定を決心した行者は、断食状態に入り、自らの体をいよいよ骨と皮だけにするように努める。入定の場として用意される土中の穴は「かろうと」と呼ばれ、その中の棺に入って土を掛けてしまう。わずかに空気穴としての竹筒が通されるだけで、中は全くの暗黒となる。 多くの行者はこの中で鉦を叩きつつ、念仏を唱えながら餓死するのだ。従って、入定時に信者に対して「鉦の音が聞こえなくなったら、入定したと思ってくれ」ということが多い。入定したと確認されたら、空気穴である竹筒を抜き、そのまま完全に穴をふさぎ、一定の期間後に掘り出して即身仏とする。通常は三年経ってから掘り起こすが、光明海のように「百年後に掘り起こせ」と遺言する場合もある。 |
上記の方法で即身仏になるには、間違いなく人の手助けが必要となる。現存する即身仏もすべて、近隣の信仰を集めた修行僧が多い。これだけの信仰は実際には過酷な修行と卓抜した日頃の行跡がなければ得られないものである。 仮にこれだけの修行を続け、信仰を克ち得ることが出来たとしても、現在土中入定により即身仏になるのは大変難しい。それは法律に触れるからである。明治初年に墳墓発掘禁止令が発布されたことにより、鉄竜海上人は入定年を偽り、仏海上人は入定を認められなかったと言われている(仏海上人は死後かろうとに納められたが、三年後に掘り出すことができず、学術調査として掘り出されたのは58年後のことだった)。 現在は刑法第189条に「墳墓発掘」を禁じる規定があり、また入定を助ける行為が刑法202条の自殺幇助に問われる可能性もある。極秘裏に入定すれば、入定した本人が罪に問われることはないが、それを助けた信者が罪に問われる可能性がある。その危険を信者に冒させてまで入定する例は流石にないと思われる。 |