(1) | 石頭希遷(無際大師)は、湖南省南岳(衡山)の南寺(南台寺?)で790年に91歳で入寂。遺体は即身仏に作られたらしい。
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(2) | 辛亥革命(1911)の時に、石頭希遷のミイラを祀った寺が革命軍により焼かれたが、当時大師を研究していた日本の山崎彪氏が寺から大師の即身仏を救い出し、つてにより三井物産の船で日本に運んだ。
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(3) | 山崎氏は「大師奉讃会」なる組織をつくり、方々で御開帳を行った。大正五年に上野で開かれた大正博覧会にも出品されている。その後、「奉讃会」の主力メンバーであった平野氏により昭和五年(1930)に青梅市の山に祀り、山名を石頭山とした。
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(4) | 戦時中、この大師を祀った寺は陸軍の結核病棟となり、平野氏没後は祀る人もなく荒廃した。この山にミイラがあるとの噂を聞いてやってきた松本昭氏が1960年に平野氏の息子から即身仏を譲り受け、日本ミイラ研究グループのものとして早稲田大学に安置された。
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(5) | その後曹洞宗の総本山総持寺(鶴見)がこの事実を知り、副貫首である乙川禅師が再三再四松本氏に要請し、結局1970年に総持寺に移されている。
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この石頭和尚の即身仏は、中国の南華寺に祀られている六祖慧能ほかの即身仏とは異なり、漆で固められてはいないようだ。外見はむしろ日本の即身仏に近い。一部漆布を貼った跡が残っているそうだから中国風に作られたものが、傷んで現在のようになったのかもしれない。