藤原四代のミイラは、恐らく日本に残るミイラのうち最も有名なものだろう。奥州平泉の中尊寺金色堂に平安時代末期に奥州に権勢を振るった奥州藤原氏のミイラが残されているのだ。 このミイラとは、藤原清衡(きよひら)、基衡(もとひら)、秀衡(ひでひら)の藤原三代と、秀衡の長男泰衡(やすひら)の首、併せて四代にわたるものである。
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この藤原氏のミイラの調査が行われたのは、1950年9月のことである。学術的な調査が入ったのはこのときだけだと思われる。 この調査の際には、言伝えのレベルであった全てのミイラの存在が確認された。
なお余談ながら、このときの調査団は、東京大学の柴田雄次博士ほか殆どが東京大学のメンバーで占められていた(朝日新聞社後援)。一方、1959年から行われた日本ミイラ研究グループの即身仏調査は、早稲田大学の安藤更生博士をはじめとする早稲田大学、新潟大学、東北大学のメンバーであった(毎日新聞社後援)。この2つのグループにはやや確執があったように窺われ、この二つの調査結果を併せて考察するような動きは非常に限られている様子である。 |
このミイラについては、自然ミイラか人工ミイラかについて、今も議論が分かれている。 実は「ミイラなぞをさぐる」という本では、中尊寺調査団の調査結果をもとに「秀衡のミイラには内臓がなく、代わりに古銭四枚と人の歯が沢山入っていた」と記述しているが、その他の書物にはこのような記述はなく、秀衡のミイラにも内臓は残っていたようである。 これらのミイラを自然ミイラとする学者の論拠は以下の通り。
一方、人工ミイラ説を取る学者の論拠は以下の通り。
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