鉄門海上人

入定年文政十二年(1829)
寺 名注連寺
所在地山形県東田川郡朝日村七五三掛
拝 観

本名・出自砂田鉄(青竜寺川の人足と言われる)
出家の動機赤川の女郎の件で武士と喧嘩、これを殴り殺して、注連寺に駆け込む。注連寺の寛能和尚に入門
略   歴一世行人として、仙人沢で木喰行二千日。その後、諸国行脚(東北、関東)。酒田の海向寺復興、盛岡の蓮正寺他6寺建立。注連寺に戻り、3年間の五穀断ちを経て、文政十二年十二月入定

 鉄門海上人は、数ある日本ミイラの中でも最も有名なものです。その最大の理由は、言伝が多いことではないかと思います。言伝えとしては、
・修行中に、よりを戻そうと仙人沢にやってきた女郎に、自らのホーデンを切って与え、その女郎は客がついて大繁盛、その後繁盛のお守りとして、女郎の間を転々とした。
・鶴岡藩主の側室の腹痛で苦しんでいるのを、腹を一蹴して治した。
・諸国行脚の際、加茂坂の険しい坂道に、隧道を掘削した。
・江戸で悪質の眼病がはやっているのを見て、自らの左眼球を刳り抜き、湯殿山大権現に捧げた(この功績を以て、惠眼院と言われる)。

 寺伝では、本堂で坐禅を組んだまま「われに祈願するものは諸願を成就せしめん」と言って、入定したとされています。が、注連寺の清海住職の手記などでは、不意の風邪がもとで急死したのを即身仏に作り上げたとなっています。

 鉄門海上人の即身仏は、戦後に注連寺より持ち出され、見せ物として関東・関西へ持って行かれたことがあるらしいです。そのせいもあってか、破損はかなりひどかったようです。


注連寺への行き方
最寄りの幹線駅鶴岡駅(羽越本線)
最寄りの駅同上

 注連寺は、湯殿山四ヶ寺(真言宗)のうち、大日坊と並ぶ表口別当の位置づけにありましたが、今はかつての賑わいはありません。
 鶴岡駅から湯殿山行きのバスで「大網」下車。前の道を大日坊を右に見ながらひたすら歩く。徒歩25分。バスの本数が少ないので注意。
 私は2度行ったことがありますが、注連寺への道は閑静な田畑・山々の中を通りますので、開放的な気分に浸れます。


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