宥貞法印

入定年天和三年(1683)
寺 名貫秀寺
所在地福島県石川郡浅川町小貫
拝 観可(要事前連絡) 拝観料300円

本名・出自近松宗右衛門治久(出雲国松江村)。近松右衛門入道安利の長子
出家の動機慶長十九年に讃岐国那珂郡小松荘松尾寺の宥昌住職に入門
略   歴宥昌の死後、諸国を行脚、出羽から北陸道を経て高野山へ登る。金剛三昧院で密教を学び、少僧都の位を得て、深川の永代寺で権大僧都となる。赤井岳に滞在後、福島に移る。棚倉町観音寺、大草の堀川観音堂、小貫村東永山観音寺で加持祈祷を続ける。天和三年十二月八日に弟子の宥林に後を嗣がせ、村人を集めて薬師如来十二大願の説法を実施。同日夜半に石棺に入り、天和三年十二月二十三日入定

 元は、入定した東永山観音寺に祀られていましたが、同寺が火災に遭い全焼したため、以降は貫秀寺に安置されています(観音寺は現在に至るまで再興されず)。
 遺言は「我が身を留めて薬師如来たらん」であり、薬師信仰による入定例としては唯一のものと言えます。
 宥貞法印は、薬師如来の石仏に入って入定したと伝えられ、その石仏も残されています。また、石棺より出した後はそのまま棺桶に納められ、この棺桶も同じように残されています。
 石仏、棺桶ともに文化財に指定されていますが、即身仏は元が人間であるため、文化財の指定は出来ないそうです。
 棺桶に膝を折って納めたためか、法印は立て膝の状態になっており、非常に変わった例と言えます。昭和49年に新潟大学で補修を行っています。
 宥貞法印の写真は600円でわけて貰えます。

貫秀寺への行き方
最寄りの幹線駅新白河駅(東北新幹線)
最寄りの駅磐城棚倉駅、磐城浅川駅(水郡線)

 新白河駅から磐城棚倉駅にはバスが走っています。所要40分。磐城棚倉駅からはタクシー利用。タクシーの運転手さんには「ミイラの祀ってあるお寺」で通じます。
 アポなしでも拝観は出来ると思いますが、御住職が数年前に亡くなっているため、開いていない可能性があります。事前に貫秀寺若しくは宥貞法印ミイラ保存会に連絡を入れておくのがよいでしょう。電話番号は浅川町役場に照会のこと。


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